1971年、名古屋生まれ、高校まで過ごす

 

1989年~ 京都で大学生活を過ごす

’91.8~’92.4 カナダ・バンクーバーに9ヶ月間留学


1995年、社会教育主事補として大阪市に勤務(~2004)

 

初年度に職種の自主学習会で「ワークショップ」(参加体験型学習)と出会い、仕事面だけでなく個人的にも興味を持ち、各種ワークショップに参加。


  この頃まで演劇とは無縁


しかしワークショップの基本思想に、「うまい下手に関係なく、参加者の力を引き出すもの」と言うものがあるのを感じ取り、「ワークショップならいろいろなものに挑戦しても大丈夫」かなと思い、音楽やダンスのワークショップ参加を経て・・・


1997年、フィリピン教育演劇協会(PETA)の「民衆演劇」ワークショップと出会う


最初に参加したのは1泊2日で「演劇を通して考える人権教育」というテーマ。

そのように「テーマを決めて、何が問題なのかを共有しながら解決策を話し合い表現していく」という方向性の手法を初体験。

演劇経験のない人でも徐々にステップを踏んで演劇創りができるという「普通の人のための進め方」が印象的だった


何より楽しかった。

さらに、思いを形にしていくのに効果的な手法だと思った。


そんなわけで、すっかりハマる。

 

そこで、その年から始まった、夏休みに1週間程度フィリピンへ滞在する「PETAサマーワークショップ」に参加。


さらにハマり、翌98年も2年続けて参加。

ご参考までに、98年のツアーの日程等についてはこちら


演劇だけでなく、絵を描いたり、詩を作ったり、歌ったり、踊ったり、いろいろなアートを統合したようなアプローチがPETAの特徴。

人々の中に潜在しているさまざまな力が引き出されていく。

僕自身も、詩を書いて発表する際にラップとして披露するなど、自分の新たな一面を発揮することに。

一方PETAの人から聞いた話で、アウグスト・ボアールの「被抑圧者の演劇」について知り、興味を持つ。


特に観客参加型の「フォーラムシアター」に興味を惹かれた結果・・・


1999年 カナダ・バンクーバーのHeadlines Theatre(現・Theatre for Living【英語サイト】)

     の1週間のトレーニングワークショップに参加


奇しくも留学していたバンクーバーへ思わぬ形で再訪することに

英語でのワークショップは特に他の参加者の英語の聞き取りや、自分の感じていることを伝えるのにに苦しみつつ、ファシリテーターの英語はかなり理解しやすく、何よりも身体で表現されることは目で見えて理解できる部分が多く、ことばで理解できない部分も補うことができた。


このワークショップの経験は今後の活動の大きな基盤になる。

99年のLevel1に続いて、’01年にLevel2ワークショップに参加。


この2回の参加を通して、被抑圧者の演劇の中でフォーラムシアターと並んで代表的な「イメージシアター」を基本に、内面を探る手法「欲望の虹」や「頭の中の警官」を経て「フォーラムシアター」を作る技法に触れた。


個人個人の体験した「問題」を共有しながら、関心を共有する「コミュニティ」で共有されている問題を浮き彫りにして、その問題をめぐる劇を創る・・・というプロセスを日本でも実現したいという夢を持つ


またTheatre for Livingオリジナルの技法「Your Wildest Dream」もこの時体験


ここまでの体験を経て、少しずつ、自らワークショップのファシリテーター(進行役)をするように


Theatre for Livingへの2回の参加と前後して、2000年に東京からファシリテーターを招きフォーラムシアターを体験するワークショップを、市職員として企画。

メインファシリテーターは当時演劇ワークショップネットワーク、現・演劇ワークショップギルドで活動中の成沢富雄さん


この企画が参加者から好評だったので、僕が後を引き継ぐ形で「劇論会」と名づけてフォローアップのワークショップを10回ほど続けました。概要はこちら

この経験で、ワークショップ進行役として自信が持てるようになってきたと思う。


少しずつワークショップ進行の経験を重ねつつ、「プレイバックシアター」「サイコドラマ」「ドラマセラピー」「インプロ」などのさまざまな演劇系のワークショップへも参加して、参考にしながら自分なりの進行方法を模索


2003年、オファーを受けて、宝塚で半年かけてフォーラムシアターを創るワークショップを実施


Theatre for Livingの連続5日間でフォーラムシアターを創るプログラムを参考に、月1回のワークショップを積み重ねて、連続5日間と月1回の6回では濃密度が全然違うが、なんとかフォーラムシアターの上演までこぎつける


半年のワークショップ終了後も有志とともに「フォーラムシアタークラブ」として活動を継続

2015年現在も12年以上継続中


当初はフォーラムシアターをさまざまなテーマで創る形で活動していくイメージを個人的に持っていたが、グループで高い関心を持って共有しているテーマは、そんなにはなかった


 ⇒活動の形を模索しながらの継続


個人個人のテーマに寄り添うことで、出来ることも多い(ボアールのヨーロッパでの実践の変化と同じような方向性)


イメージシアターを掘り下げ、無言で展開することを活かす方向性に


2004.3 大阪市を退職


2004.4

 アメリカでボアールのワークショップを体験


ネブラスカ州オマハで3日間のフォーラムシアター創作+上演


サンフランシスコで「見えない演劇」

”legislative theater"( 法案起草演劇)

(※法律制定演劇とも訳される)を体験