1、'60年代、「被抑圧者の演劇」誕生前
・ボアールが亡くなったのは画像にある2008年ではなく、2009年です。
・「アジプロ演劇」は「アジプロテーション・プロパガンダ演劇」の略です。
自分たちの考え方を広めるために(プロパガンダ)、煽るようにメッセージを伝える(アジテーション)劇のことです。
・煽る・煽らないは別にして、演劇は一般的に、「舞台⇒観客」への「一方通行」のコミュニケーションです。ボアールは後に、「双方向」のコミュニケーションのツールとして演劇を活用するようになります。
・ちなみに、写真は2004年ネブラスカ州オマハで行われた「被抑圧者の演劇&教育(pedagogy and thater of the oppressed)」http://ptoweb.org/ の年次コンファレンスへ参加した際のものです。
ボアールは生前は毎年のようにこちらでワークショップを行っていました。
現在は息子のジュリアン・ボアールが引き継いで行われているようです。
・ちなみに、松田はこの2004年頃の約1年間と、最近2年間はヒゲを伸ばしていますが、それ以前やその合間の時期は伸ばしていませんでした。
たまたま伸ばしていた頃の写真をお見せする形になってますが、ずっとこうだったではありません
2、限界を感じ、方針転換につながるエピソード
・ボアールは「メッセージを伝える」演劇を全否定するようになったわけではありません。
しかし、それだけでは限界がある、ということに思い至った、ということです。
・すぐに方針転換できたわけではなく、それを実践するのはブラジルを離れ、'70年代に入ってから、ということになります。
参照文献:
”Rainbow of Desire" Augusto Boal